“死中に活”を選んだ自由党

 政局は自民党総裁選に引き続き内閣改造、そして国会解散と11月総選挙、というラインが鮮明になってきた。それにしても7月23日夜の民主党管直人代表と自由党小沢一郎党首の会談で「9月末までに民主党が自由党を吸収合併する」ことに合意した話には少なからずビッグリした。と、同時にいろんな疑問が残った。不況対策で相次いだ銀行や大会社の合併劇にはもう驚かなくなったが、政党までとなるとシーザーじゃないが「政党よ、お前もか」と言いたくなる。しかも対等合併して自由民主党(自民党)ならぬ民主自由党(民自党)とでも名付けるのかと思ったら、自由党が解党して吸収され、代表も運営も政策もみんな民主党のものを継承するんだ、という。ええっ!剛腕小沢がそこまで譲歩?なぜ?と言いたくなるではないか。で、これまでの情報誌の“斜め読み”やマスコミ情報通からの“聞きかじり”によると、どうやら自由党は総選挙でベタ負けの気配が濃厚で、もう断崖絶壁に立つ身だったようなのだ。

 小沢と言えば海部内閣の実力幹事長としてラツ腕を振るい、細川、羽田内閣でも影の実力者として君臨した。だが、いまや衆院議員22人、参院議員8人の小党の党首に過ぎない。ここまで落ち込んだ主因は小沢党首のキャラクターの強引さと読みの甘さにある、と指摘されている。今年5月の管氏との合流会談が御破算になったのも原因は同じ。このままゆくと、来るべき総選挙では自由党は小選挙区で当選が見込めるのは岩手県の3選挙区3人だけ。テレビでお馴染みの藤井幹事長でさえ小選挙区では当選がおぼつかないんだ、とか。選挙戦略を根本から見直さざるを得ない土壇場にあったのだ。

 そこで、自由党は生き残りを賭けて民主党の中にもぐり込み、なんとか総選挙を戦い抜くほか手段はなかったのである。かくて小沢党首は捨て身戦法に出た。「党名も、ポストも、政策も何にも要らない、ただ民主党の傘が欲しい」という提案にさすがの管代表も「そこまで言うなら」と飲み込んで合意に達したのである。だから記者会見の小沢氏は「私は一党員で働く」「政治は数でしょう?民主党の議員数が自民党を上回ればいいんでしょう?そのための合流」と開き直りの態度だった。そこに誇り高き小沢の姿は無かった。きれい言でいえば「誇りと引き換えに自由党を救った」となろうか。これを“落ちぶれた小沢”と見るか“死中に活を見出す絶妙な策”と見るか、は諸兄のご判断にお任せしよう。(2003・7・31)
元福島民報社専務取締役
編集局長 星 一男