2050年論議

 この原稿がインターネット画面に掲載される頃には総選挙も収まるところに収まった頃と思う。今回衆院選で目新しいのは、各党で打ち出した「マニフェスト」という言葉だ。高齢者にはどうもカタカナはいただけない。なぜ「公約」ではいけないのか、よく分からないのだが、マニフェストは公約を具体的な数値や年限を示してハッキリさせている点で進歩しているのかなア、とも思う。民主党が「2004年から高速道の料金をタダにします」などという約束はホントに実現できるのか、極めて疑わしいのだが・・・。

 こうした票集め公約の横行とは裏腹に、いま「2050年」を予測する論議が喧しい。2050年というと、あと47年後のことだ。とても私などはもちろんのこと、団塊の世代もほとんど生きてはいまい。でも論議が気に懸かるのは、孫たちが第一線で活躍している時代だからだ。
 で、論議の第一は「年金」である。高齢化がピークを迎える2050年に年金財政が最高に逼追するため、厚生労働省(その頃までこんな名前でいるかどうか、は分からないが)は、積立金を取り崩すことを検討している。それまでの間に保険料率を引き上げ続け、2025年までに年金支給開始を65歳まで遅らせる、という。孫たちはその時、どうするんだろう、苦労しそうだなア、と暗い気持ちになってしまうのだ。
 もっと地球規模での論議もある。国連の資料によると、2025年(この辺までなら団塊の世代もまだまだ生きているだろう)には地球上の人口が80億人に達し、その3分の2の人々が水不足に苛まれる、と予測されているのだ。地球温暖化によって、そのころには北極海の氷が解けて海面が上昇、南太平洋のバツアヌ共和国など島国はもちろん水没、インドの隣のバングラデシュなどは稲作地の半分が水没してしまうそうだ。逆に同国の人口は2050年までに現在の2倍以上の2億9000万人に増えるという。人口は増えて耕作地が減れば国民は食えなくなるから難民化してしまう。穀物の価格暴騰が地球規模での飢餓を招く、というのだ。この青く美しい地球が飢えた人間がうごめく星になってしまう。

 そんなとき我が孫は、その子つまり曾孫はどうしているんだろう。小学6年の孫は今から地球環境の保護に目が開けていて、一緒に散歩すると吸ったタバコの吸殻の捨て場に困るのだ。うかつに捨てると、たちまち咎められる。各党の環境対策マニフェストに独創性の無いのが気にかかってならない。(2003・l 0・23)
元福島民報社専務取締役
編集局長 星 一男