桐一葉落ちて天下の・・・

「桐一葉落ちて天下の秋を知る」の句は、豊臣家の滅亡を嘆き悲しんで詠まれた句と解釈しているのだが、こんな句がピッタリなのが今の社民党ではなかろうか。先の第43回衆院選で18議席が一挙に6議席に激減してしまった。参議院議員を合わせても12人しか議席を持たない少数党に転落している。かっての社会党時代を含め最大の危機に喘いでいる。

 昭和30〜40年代に新聞記者として取材活動をやった福島ぺンクラブ(県内マスコミOB会)の一員として当時を思い起こすと、社会党はそれはそれは大政党だった。55年体制とも30年体制とも呼ばれ自民党と天下を二分していたのだ。 l 955年(昭和30年)に、革新陣営の右派・左派両社会党が統一され日本社会党に、保守は自由党と民主党が保守合同を実現し今の自由民主党、略して自民党が結成されて、保革対立の構図が出来上がったのである。だから、永田町に聳える自民党本部に対抗して、300メートル離れた三宅坂に建てられた社会党本部は地下l階、地上7階の大きなもの。最盛期には職員が150人もいた。全国に党員12万5000人、機関紙「社会新報」は48万部を数えた。自民政治にことごとく反対、常に国会はもちろん、地方政治でもぶつかり合った。結局、政権は一度もとれなかったが、こんな大政党が何時の間にか凋落しはじめ、平成に入って55年体制の崩壊とともに、名前を社民党と変えてからも一向に浮上する気配がないまま、いま解党という崖っぷちに立たされている。まさに‘桐一葉’である。

 “憲法化石"と陰口をたたかれながらも、憲法改悪反対を叫び続けた土井たか子党首が選挙敗北の責任をとって辞任した。ところが残された方も多事多難なのだ。テレビのワイドショーで、有能弁護士として顔を売って参議院選比例区から議員となった福島瑞穂幹事長が党首の座に就いたものの、前途はさっぱり見えてこない。いや、ますます危機的状況が濃くなっているのだ。わずか12人の党内が真っ二つに割れて幹事長も選べないでいるのだ。割れている理由は民主党への合流派と、あくまで党を再建すると合流否定派の二派だ。ところが、合流するにも12人のうち、小選挙区当選者は1人だけで、11人は比例区選出だ。比例区議員が議員個人で他の政党に移ることは出来ない。民主党だって「議席は欲しいが社民党では護憲派が増えるだけ」と冷やかだ。これでは行き場がない。政界の孤児となって、来年夏の参院選が引導渡しの場か。(2003・11・28)
元福島民報社専務取締役
編集局長 星 一男