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東日本大震災に思う
株式会社 大和地質研究所
代表取締役 大村 一夫
はじめに

 平成23年3月11日午後2時46分頃、福島市の大地が、そして建造物が揺れに揺れた。一次波は今まで経験したことがない程の長く激しい揺れであり、二次波はどこからかが到達時刻であるのかが分からなかったが、逃げる時には体が左右に振られ直進できない程の強弱の揺れのくり返しが生じ始めていた。これは二次波だと感じた。その長さは3分を越えていたのではないかと思われた。
 しかし、私が居た福島駅西口のホテルやその隣のスーパーマーケットでは、目につく破損は生じず落下物もなかった。また、見渡す限りの木造2階建て住宅群からは、火柱もあがらず、建物の倒壊で発生する土煙も、火災発生を示唆する白煙もあがらず、逃げ回る人影も見えなかった。この不思議な地震の揺れは、これまで経験した直下型地震とも海溝型地震とも異なる信じられない揺れであった。後に、M9.0の東北地方太平洋沖地震と命名された1000年に一度の巨大海溝型地震であることが分かり、これまでの私の知識が完全に覆されたことを知った。揺れが納まったと思ったら、視界がきかなくなるのではないかと思うような吹雪になった。吹雪は地面を白く染めることもなく納まったが、これも地震とセットであったのだろうか。
 私は長い年月、直下型地震の震源となる活断層の調査に携わってきた。今回の体験は、恐らくこの文を読む方々と同一体験であろうが、それを記録しておくことは、地質調査業に携わる技術者として必要なことと考え、思いつくままを以下に記すことにした。

東日本大震災とは福島県人にとって 
   複数の災害が複合する大災害である

 一口に東日本大震災と言っても、主たる被災地である岩手県・宮城県・福島県の内、我が福島県だけはその内容に大きな違いがある。前二県ではM9.0の東北地方太平洋沖地震とその約30分後の大津波との複合災害であるが、我が福島県は、この複合災害に加え、大津波によって、福島第一原子力発電所があっけなく破損された結果、世界で初めて津波で破損した原子炉建屋内で水素爆発が生じ、それに伴う放射能飛散による拡大な強制立ち退き地域が発生したことと、福島県全体に放射能汚染の風評被害が加わり、世界でも初めての自然災害に放射能災害が加わった重度の複合災害の代名詞的県になってしまった。即ち、我が福島県は東日本大震災の被災地というよりは、チェリノブイリにとって代わった、全世界の誰もが知っている注目の地FUKUSHIMAとなってしまったのである。

(1)東北地方太平洋沖地震での大地の揺れの不思議
 3月12日から、自宅周辺の停電が回復し、TVが見られるようになった。大津波のすごさをくり返し見ることになったが、どの画面を見ても、津波が到着する約30分前に発生していたM9.0の地震での被害があったことを示唆するものがないのが不思議であった。住宅から逃げ出す人も写らず、破損した住宅から被災者を救い出そうとする人だかりも写らず、整然と並ぶ自動車や人家が流水に浮かぶ枯れ葉のように浮き沈みしながら、まっ黒な水流に押し流されてゆく様は異常という他なかった。流される人の姿がほとんど写し出されなかっこと(TV局の配慮かも知れない)が、悲惨な災害がどこか別世界での出来事の様に感じられ、冷静に見ることができた原因かも知れない。その画像が現実のものであることを感じさせたのは、避難を呼びかける無線の女性の声と、悲鳴と言うか怒号と言うか「逃げろ」「逃げろ」とさけぶ人の声であった。
 
 地震による地盤沈下が生じたという、リアス式海岸の湾奥の沖積低地に立つ建造物に、M9.0の地震はどういう被害をあたえたのであろうか。コンクリート建造物も、根こそぎ流されたものが多いと言われているが、その原因に、この地震の異常さが潜んでいるのかも知れない。また、死者の9割以上が水死者であったと聞くがこれは地震での死者がほとんどいなかったことを示唆している様に思われる。M9.0の地震の約30分後に、津波に襲われたことを考えると、水死者の多さもこの地震の異常さを示すものと思われる。
                                       
 いずれにしても、巨大地震で助かった人々や家も、津波で根こそぎ流されてしまったことに間違いはない。亡くなった方も助かった方も、わずか30分足らずの間に、2度の生死を分かつ大変な経験をされたのである。
 亡くなった方々には御冥福を祈る。生き抜かれた方々には、2度の生死を分かつ大変な経験をされたのに、よくぞ生き抜かれたと称讃すると共に心よりの敬意を表したい。

(2)あの福島市の耐震診断は何だったのか
 我家は築41年の古家である。数年前、福島市の耐震診断を受け0.35と評価されていた。診断に当たった一級建築士は「早く補強することをすすめます。0.7位にはなるでしよう。そうしないと、大きな地震があると必ず倒壊します」と言い直いて去った。それ以来、ローンを完済したら手当をしようと考えてきた。


ところが、ローンの完済(3月未)の直前に巨大地震に出会ってしまった。完全につぶれていると思い、地震直後の吹雪の中を自宅に向かって車を走らせた。我家を遠目に見ることができる地点に差しかかり、我目を疑った。我家はいつもの姿で立っていたのである。そして、路上には人影はなかった。周辺住宅も無事だったのである。我家は食器戸棚の食器がこわれた以外、何の被害もなかった。我家と同じく、0.35の評価を受けていた知人宅を訪ねてみるとそこも、額の1つが傾いただけで無事であった。
 有料の耐震診断を受け、0.35と評価され、大きな地震では倒壊必至と宣言されていた身としては、この地震で我家がつぶれなかった理由を教えてもらいたいと思う。我家の周囲ではつぶれた家は皆無である。我家がそうだから、これは納得できる。しかし、我家よりも古い家も無事であった。その理由も知りたいものである。あの姉歯間題があっての診断である。あのわが家を診断した一級建築士には説明責任があるのではなかろうか。

(3)津波浸水域の復興について
 大津波の浸水域では、人家と地場産業は根こそぎ流され、多くの住民は命を失った。即ち、地域社会は消え去ったと言って過言ではない。生き残った人々だけでなく、地方自治体も県内あるいは県外に避難しており、時がすぎる程、人々は避難地などに定着するだろう。そうなってからでは国がいくらお金を注いでも、地元に戻り地域社会を復興させようとする人々が少なくなってしまうのではなかろうか。そうなってからでは、地域社会の復興は困難になると思われる。大津波の浸水域を復旧するだけでは、再び津波に襲われれば、地域社会は再び壊滅する。これを防ぐには、津波に耐えうる地域社会の青写真を描く必要があるが、それには、相当の時間を要するだろう。
 その間、我々は何をすべきであるのか。震災以来、それを考え続けてきた。3月28日盛岡から、人工衛星画像処理技術を身につけた技術者が戻ってきたので、とりあえず、大津波発生以前のふる里の姿と発生後のふる里の姿を写し出した人工衛星画像を作成させ無償配布を開始した。
 その目的は、この衛星画像を目にする被災された方々に、震災前のふる里の姿を目に焼きつけていただき、復興への勇気と希望を持っていただくだけでなく、復興を支援して下さっている方々にも、復興を必要としている地域の状況を確認していただき、さらなる闘志と勇気をかき立てて支援を続けていただくことにある。4月10日の衛星写真が鮮明であることが分かったので、それの無償提供を受ける方法を知るため、(財)リモート・センシング技術センター(RESTEC)を訪れた。そして、そこで、「紙媒体での衛星画像地図の現地(市町村自治体や避難所など)への無償配布計画」の協力者募集があることを知り、目的が一致しているので、4月10日の衛星写真の入手を先送りして、これに加わることにした。
 RESTECが用意していた衛星画像地図は、津波被災前後の被災地の詳細と地表
状況の判別が可能であり、PDf、データは座標(緯度・経度)情報が含まれているため、津波による移動構築物の距離計算・面積計算など被災地域の被害状況の把握ができる。(写真下)


 私は、RESTECからのデータの無償提供を受け、大判の紙データに加工して、 広範囲に無償配布するという大作戦「大震災から立ち直ろうとする福島県の姿無償配布大作戦」を提案し承認された。
 5月9日にはキヤノンから大型カラーコピー機が到着し、5月12日には1巻30mのコピー用紙45本が届いた。これで2,400枚の衛星画像地図の作成が可能になり、協賛者を募集する準備も整った。今月中に配布を開始し、6月末にはこの大作戦を完了したいと思っている。そして、宮城県・岩手県に移りたい。
 今、私にできることはこの位のものである。これを実施しながら、やがて訪れる津波浸水地での地域社会復興に備えるにはどうすべきかを考えたい。

(4)放射線汚染地域の復興と風評被害について
 汚染地域は福島第一原発から北西方向に伸び、川俣町の山木屋地域に達している。原子炉の状況変化と風向きによっては、60k皿離れている福島市にまで伸びてくることがあり得るかも知れないという漠とした不安を感じている人は少なくないと思う。東京電力が発表している第一ステージ・第ニステージのスケジュールに示された作業が大過なく進行すれば、その不安は小さくなるだろ。
 しかし、校庭の汚染土の捨て場がないという現状に立てば、原子炉が安全な状況になったとしても、避難者の帰宅が実現するにはさらなる時間が必要と思われる。それは汚染地域の全表土の「除洗」という作業が必要になるからであり、「除洗」が済んだとしても、生産品を売ることの保証がなされたとしても、風評被害を受けずに済むことは困難であると思われるからである。
                                                            
 これらの地域に対しては、除洗が済むまでの間、我々は無策であると言わざるを得ない。私の心配は、汚染地域が飯館村より北へ伸びることがあれば、相双地区への往来が極めて困難になることにある。
 風評被害は正確な情報が迅速に伝えられていないことに加えて、公式発表で「ただちには健康を害することはない」「想定外の事であった」といったどうにでも取れる様な発言があったり、東京から一方的に発信される場当たり的な(?)発言による所が大きいように思われてならない。また、世界的な注目地FUXUSHIMAの産物の全てが国内外で疑いの目で見られていることは間違いなく、それば、まだまだ続くと思われる。これにどう対処すべきなのだろうか。
 まずは、福島県民自ら、地産地消での生活を始め、県産品の消費の促進を図るべきなのではなかろうか。我々には、人々は必ず後に続くと信じて、自ら行動を始めることが求められているように思う。

終わりに

我々は、地元に根付いた地質調査会社の一員である。しかし、今やるべき事は、本業の地質調査だけではないように思う。被災者を支えることが、それ以上に、あるいは、それと同程度に大切であることを記憶に止めておきたい。

(平成23年5月11日記)


(社)福島県地質調査業協会協会便り119号(平成23年5月10日発行)
(掲載文を加筆修正)





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