映画のようなラスト・シーンを!

主幹 富田正廣


 「エアー・ホースワン」「コン・エアー」「ピースメーカー」といったテロや凶悪犯罪を題材にしたアメリカ映画が20世紀に大ヒットした。いずれもそれまでにはなかった過激で、思いも寄らない展開に息を呑んで見たのも最近のようだ。だが9月11日に起きた米同時多発テロ事件はまさに「事実は小説より奇なり」という言葉がスポッと当てはまるような事件となった。映画のシーンよりさらにリアルなシーンが次々とテレビの画面 に映し出される。息を呑むというより信じられない、まさにこれは「悪夢」何だと思うほかなかった。

 映画にはシナリオがあり、観客は約2時間という枠で右や左に振り回されても、最後は真ん中に収まって満足して映画館を後にするのである。良かったか悪かったかはその筋書きが読めたときだ。作り手の一方的な展開と結末では大ヒットとはいかない。こうした映画は、作り手はアメリカであるから当然、敵はちょっと前なら旧ソビエト、その後はロシア、そしてアフガニスタンといった過去の戦争の相手国が挙げられ、我々もいつしか「悪い国」のイメージで映画を観てしまう。

 だが「パール・ハーバー」では、我が国、日本が敵国である。日本の「真珠湾攻撃」を題材にしたこの映画ほど、観ている我々に「日本は何と悪いことをしたんだ」という気持ちをあらためて起こさせられて、やはり後味が悪かった。「これでもか!これでもか!」と言わんばかりに攻めまくる零戦隊。逃げまくるシーンの中には、ヒーローやヒロインが懸命に零戦隊に応戦し、傷つく人たちを懸命に助けるのである。美しいシーンは突然、日本軍によって血に染まるのである。どちら側の気持ちで観たらいいのか複雑になるが、まさにアメリカ人には「憎っくき日本人め!」となるのであろう。

 映画には始めと終わりがあって、所要時間がある。「もうすぐラストシーンだなー」と筋書きと時計で確認できる。だが、今回のテロ事件は始まりも分からなければ、どこで終わるのかというラストシーンもない。まして始まったらいつ終わるのかという所要時間も書いてない。映画だったら最も大事な敵国が見えない何て言うことはない。だが事実がそうなのだ。敵国が宣戦布告をしたわけでもなければ、名乗り出たわけでもない。ただアメリカは仮想敵国?いや組織?を「そうだ!」と名指ししているだけである。「敵はどこにいるのか」さえはっきりとしない。
 映画なら作り手側になって感動しても何ら差し支えないが、現実は違う。敵がアメリカの象徴でもある世界貿易センタービル、国防総省に飛行機ごと突っ込むなんていうシーンを、ただアメリカ側だけの立場で物事を考え、「敵」を見誤ったら、さらなる恐怖が待っているような気がする。

 日本は失業者5%を越えても混乱もない平和な国である。「平和ボケ日本!」何て言われてすでに久しい。未だに自衛隊派遣でもめている国だ。湾岸戦争で痛いほど知った経験も10年を経ても何も生かされていない。「金持ち日本」はG7だとかG8だとかでは、大国並みに世界各国から扱われても、こうした突発的な有事となると声もかけられない。また、金を出して後方支援をやってくれればそれでいいという程度なのだろう。
 すべてアメリカ寄りの情報や外交に走ってはならないが、アメリカオンリーの日本であってもならない。だが、次のテロの目標が日本の東京だったら、国会議事堂や都庁が爆破されたら、アメリカのような素早い対応がとれるのだろうか。まさに背筋の凍るような日本の政治である。

 映画にも、小説にも事の「起・承・転・結」がある。世界貿易センター、国防総省、墜落事故として見えない敵の「起」が始まった。さらにアメリカはそのことによって事を起こそうと世界各国に強調と協力を申し出だ。まさに第三次世界大戦の様相を帯びている事件となって「承」となった。今後、この展開は和解の道の第一歩となるのか、それは誰にも分からないが、まさにあたらしい「転」が動き出そうとしている。
 そしてその終わりはどうなるのか。第一次、第二次世界大戦のような悲惨な道を歩むのか。それとも「プラトーン」や「地獄の黙示録」のベトナム戦争のような終わりのない泥沼に足を突っ込むことになるのか。それとも「インディペンデンス・ディー」のように平和な世に蘇生できるのか、その「結末」にいま答えはない。未来へ輝く子供達のために、ハッピーエンドのラストシーンをください。21世紀が「猿の惑星」のような"こんな馬鹿な!?"というラストだけは御免である。 (2001.9)