功績を優先できる国民性を!

            主幹 富田正廣


 人には二つの生き方がある。常に人の盾になって進む人間と、何かを後ろ盾にしないと進めぬ 人間である。当然、先頭に立てば波風が立ち、思わぬ抵抗を受けて進みにくいものだが、人の後ろに付けば本当に楽である。「人は生まれながらにして、そうした‘術’を身に付けるのは小学校に入るあたりである」と、以前息子達が通 ったある幼稚園で大学教授が父兄会で話しをしたことを思い出す。

 話しはこうである。「幼稚園の広場にちょっと使い方が不可解なオモチャを置いておく。すると怖々と遠回りにただ見ている子供や友達の後ろに隠れるようにのぞき込む子供、塀にピッタリと背中を付けたまま顔が強ばってしまう子供がいる中で、「何だこれは?」とサッサと近づいては手にして遊ぶ子供もいる。そのオモチャが安全だと分かるとワーと近づく子供は遠回りで見ていた子供達などだ。こうした性格は大人になっても変わらない。ある日、通 勤途中の駅前に飲み屋さんがオープンした。「どんな店だ?」と思っても、遠巻きにして通 り過ぎてしまう大人、今度誰かと一緒なら覗いてもいいなと思う大人、怖いものを避けるようにスタスタと立ち去る大人もいれば、「駅前に飲み屋ができたぞ!」と同僚何人かを引き連れて、オープン当日に暖簾をくぐる大人。どちらの生き方を選択するかは幼稚園までに培った人間形成にある、というのだ。

 我々の身近な生活にも当てはまる。何をするにも先頭に立つ人間もいれば、人の出方を伺ってからしか行動しない人間もいる。先頭に立てはやけどもするが、新しい発見もできる。人のやけどを見て何もやらない人間では、新しい発見などあり得ない。要するに改革派か、それとも保守派かということになる。前に進む人間がいなくなった会社や党派に新しい改革などあり得ないし、そんな会社や党派は時代から後退する以外にない。
 今回の田中真紀子前外相の突然の議員辞職は少なからず、自民党という党派にいい結果 をもたらしたとは言えない。‘何もできない、何もしない、何も言えない’無能な連中が寄ってたかって引きずり降ろしに奔走したに過ぎない。

 田中真紀子という人間の生き方は個人的に好きである。前に向かって進むガッツは、女にして置くにはもったいない。外務省改革、政治を庶民の手に戻したこと、特に官僚の特権意識ををガタガタにしたのは気持ちがいい。これも先頭に立って取り組んだ功績だ。だが一連の秘書給与問題が事実なら、あってはならないことだ。しかし、これまでの功績と今回の不祥事を秤に掛けたらどちらが国民のためになったか。何もしない自民党員たちが、重箱のスミを突っつき、あれが悪いこれが悪いといって、将来の首相候補を引き吊りおろした。 米国の前クリントン大統領だって不祥事の数々はあったが、国民は大統領の功績を選んだ。日本人ももっとおおらかになってものを見なければダメだ。「何もしない、何もできない、何も言えない」そんな人間が団子となって、社会をリードするシステムになったら国は後退するばかりだ。そんなあなたの会社も「何もしない、何もできない、何も言えない」そんな3無い社長が会社をリードしているのではないのか。(2002.8.31)