張り子の木造建築はもういらない!

            主幹 富田正廣


 郡山市内のある社長から「県職員でもまだ気骨のある人はいるんだネ」と言ってあるコピーを見せられた。何とその気骨ある職員とは小生の中学の同級生だった。早速、彼に電話をして久しぶりに交流を深めた次第。その彼は中学時代にサッカー選手として活躍した。小生は陸上部で同じ校庭で時を過ごしたが、大会終了後、サッカー顧問の先生から頼まれ、今度は陸上部で随一の俊足K君とサッカー部入りした。サッカーには興味がなかったが、見よう見まねで3年の11月までの3ヶ月間はサッカーに没頭した。陸上部で夢を果たせなかった「優勝」という文字を味わったのも彼らのおかげだった。アルバムを開くたび優勝トロフィーと表彰状を手にした彼との短かった思い出の一枚がある。

 その彼とはー現在、いわき建設事務所主幹兼次長の斉藤隆夫君である。「気骨ある職員」とお褒めを頂いた彼は「いわき建築士第20号」に建築士としての思いを執筆した。県に入庁して30数年、建築士しとて活躍してきた彼が喜びや反省、そして危惧する心や未来に馳せる心を赤裸々に綴った文面は‘当たり障りのない'論評、論説より、どれほど読み応えがあったかわからない。
 先日、「ふくしまの棟梁コンクール」の受賞式が福島市であった。今年は福島市桜本の建築大工である三浦藤夫氏ら3人が表彰された。以前から建設メディア「MEDIA」ではプロカメラマンの長尾昌克氏(本社嘱託)と共に地道でもしっかりと地に根ざした職人を紹介し、その数は60余人に及んだ。すでに5年前に三浦さんの素顔をカメラは捉えている。三浦さんはインタビューの中で「四季のはっきりした日本の風土には、建物自体が呼吸し、住む人にやさしく温もりを与えてくれる木造家屋が最適と気づき、そして日本建築の粋(すい)を追求した数寄屋造りこそ究極の建築である」と話している。

 彼もまた「職人気質と伝統木造の行方」についてこう述べている。「日進月歩で新材料、新工法が開発されていく一方で、設計サイドも施工サイドも気候風土はもとより、われわれのバイブルである共通仕様書、そして先人から引き継がれてきた技術やノウハウがおざなりにされてはいまいか。(中略)基本事項がしっかりと守られているか。(中略)数え上げたらキリがない。日本の伝統木造建築はどこに行ってしまうのか。」と危惧する一方で、法隆寺等の改修に携わった西岡常一さんの考え方を書き尽くし、「もし西岡さんが存命なら今の金物だらけで、人の手が掛かっていない張り子の木造建築をどのように批評されるだろうか」と結び、福島市の「大工道具館」の見学を薦めている。

 福島の「棟梁」たちが後世に残せるモノは「形ある物」だが、それを支え補佐する役目にあるのは、彼のような建築士の「サムライ」にほかならない。日本古来の木造建築は100年どころか500年も息づくのである。高度成長とともに、消費住宅が主流となるにつれて、国民の住宅に対する意識も変わった。高気密・高断熱の住宅に住んでは、シックハウス症候群だ何だと騒ぎ出した。国の政策の失敗や間違い、本来の指導を怠った行政、自分が住む「家」の建築に無頓着で人任せの国民、そしてわずか15年ぐらいしか持たない住宅を宣伝したメーカー、その宣伝をただあおったマスコミはもっと悪い。

 行政、建築士、職人、マスコミすべてが「本来の木造建築」の復活に賭けなければ、日本からホンモノが消えていく。われわれ“報道”の端くれも、「いま、何ができるのか」を自問自答してみれば、“当たり障りのない記事"を書いたり、雛壇の上から専門家気取りでファジーな講釈をするようではいけない。もっと業界に「形ある貢献」をもたらすべきなのだ。どこにでも「顔は出す」だけの議員様のようでは、到底「サムライ」にはなれない。
                             (2003.2.25)