人で選ぶ。それが国を造る。

            主幹 富田正廣


「県都福島の再生には『やり方を変える』のではなく『やることを変える』ことが閉塞感漂う福島市には今一番必要なことではないのか」と27日の投票日に向けて支持者らに訴える市議選候補者のYさん。統一地方選の後半となる20日は小雨降る朝となった。Yさんは「この雨の中でもここに来てくれた人は頼んで来て貰ったわけではなく、自分の意志で来てくれた人ばっかしだから、わたしの政策をはっきりと話しできる」と話すこと約1時間。福祉、子育て、都市間競争、福島市再生などの問題点を鋭くえぐる。要所、要所に笑いを誘い飽きることはない。政策には同じ団塊の世代に生まれこともあり共感することしきりだ。「こんな立派なことを言って、もし落っこじだら、吉本興業にでも行くほかないべ」と締める最後の言葉に笑いの渦が巻く。‘ぜい肉、集めて集めてAカップ’で茶の間の人気者となった“綾小路きみまろ”もさぞや真っ青になったことだろう。

 いまや世界情勢も日本情勢もまさに閉塞感漂う時代にスッポリと収まった感がする。不況の真っ直中に降って湧いたような男、あの綾小路きみまろが、なぜウケるのだろうか。それは「分かっているが、それを口に出しては言えない」そのことを人前ではきりと言ってくれる。すなわち思い当たることがあるから笑っちゃう。熟年男性、女性のこころを「ポン!」と突いた話しなのだ。Yさんは現実に直面する諸問題を‘きみまろ’以上の「話法」で訴えるから支持を得るのである。ひとつ一つの政策に対する不審は数字で表し、はっきりと名指しをして「見える話し」にする。最後は漫談家バリの「オチ」で人を惹きつけるのである。

 バブル崩壊までは、可もなく不可もないスマートな人や芸能人・有名人を単に政治家に選んだりしても、まあ、問題のない国で優雅な時代であった。それが「政治屋」を選んだ結果にもなったわけだが、こうした厳しい時代に入ると国民もバカではない。本当に人間そのものに期待感を持つようになった。Yさんも、あの漫談家もけして「いい男」の部類ではない。実力のある人間こそ我々は政界へ送り込む義務がある。市政は最も生活に身近であるばかりか、政治参加の原点でもある。これまでの市政のやり方をまずゼロに考え、本当に「やることを変えられる」人間を選ばなくてはならない。物を言える政治家。ノーと言える政治家。今度の選挙はそうした人間を選ぶことが大事だ。(写真は福島民報4月21日付)

 政治家は、話すことを頭で考えてから口にするのでは遅すぎるのである。水道の蛇口をひねると洪水のように言葉が衝いて出なくてダメだ。他人に聞かれて「うーん」と、うなっているような人間に政治は任せられない。すでに時代がそうした政治家を求めてはいない。。地域や政党に偏ったり、無所属を装う隠れ政党員や「ウケ」だけで無所属を‘隠れ蓑’とするサラリーマン候補者などを見抜く有権者にもならなければならない。「人を選ぶ」ということはいずれ、良い地域が造れ、良い政党が生まれ、良い国が再生できるとことに繋がるのである。27日は福島市以外に、郡山、須賀川、会津若松、喜多方、相馬でも市議選が行われる。オレが「◯◯から日本を変える!」くらいの意気込みでぜひ投票へ行きたいものだ。
 雨ガッパを被り選挙カーに乗り込んだYさんも、大勢の支持者らに見送られ、小雨降る市内へ。いざ、出陣!。 (2003.4.25)