いつも市民は置き去り!

            主幹 富田正廣


 郡山市にいま物議をかもす現場がある。一般紙にも今月始めに読者の声として取り上げられたので、お分かりになる読者も多いと思う。その現場は、郡山駅前にほど近い国道4号線を挟んだ中町緑地だ。市民でなくとも、ビルの谷間にあるあの緑と空間は心が癒される。さすが“水と緑めざす郡山市”だと絶賛したばかりである。
 だがーである。その公園をいとも簡単に取り壊して、堂前地下横断歩道の建設が始まった。歩行者等の安全確保には必要な工事であることは誰でも承知のことだが、あれだけのモノをつくったからには、それなりの工事費がかかっている。それもすべて市民や県民、いや国民の血の滲むよう労働の結晶である税金から捻出されている。我が家なら造ったばかりの庭を壊すバカがどこいるだろう。こうした公共工事の無駄遣いがある以上、市民の批判を浴びるのは当たり前である。2年後にこうした地下道の建設が予定されているのであれば、簡易的な駐車場として市民に開放した方が街の活性化に一役買ったハズである。無料駐車場なら、なおさらのことである。 発注者である郡山市の真意が疑われても仕方あるまい。

 その当時、“誰の提案”で緑地公園にしたのか。また郡山市にはそれを審議する事業評価委員会なる存在はなかったのか。自分の財布から出す金なら、こんなバカな発想は浮かぶまい。この工事で“得をする者"は、いったい誰だ! 誰の提案であれ、市民の批判を浴びることが分かっているのは発注者と設計者と指名業者である。業者の発注方法に問題ありと、近ごろは指名入札から一般競争入札や公募型入札に移行しつつある。
 例えば「地下道建設を2年後に控え、現在地の有効活用と将来像はいかにあるべきか」という提案書を市民や建設業者から募ればいい。その答えに税金のムダ使いなど、あり得ない。あったとしても、最小限に抑えられるであろう。誰も工事の途中で、そのムダに気づかなかった訳はない。そのことを「発注者に言える勇気」がなかっただけだ。「俺たちは造ればいいだけの話し」とか、「いまさら言っても変更などあり得ない」とか、「市がそう言ってるんだから、そうすればいいんだ」という安易な考え方だけが先行したのだと思える。

 どこでも「まちづくりについて」の論議は、有識人や知識人を招いて喧々囂々と行われても、肝心の主役である市民は置き去りだ。風土・文化・歴史に合ったマチづくりを最も知る人間は、有識人や著名人ではあるまい。そこに何十年と住み続けた住民である。有名コンサルタントや有名設計者に頼むと、どのマチも「金太郎飴」のような画一的な発想でしかならないという話しもあるくらいだ。もっと住民の声を大切にする市政、「それはおかしいよ!」と言える設計者や建設業者であるべきだ。
 ある県内大手建設会社の社長曰く、「ほかの業界トップが商工会議所のトップになっても議論が出ないのに、建設業がトップになるとなると文句が出る。それだけ市民への信頼感がないんだな〜」と言った言葉を思い起こす。建設業は、「市民の立場で工事をさせていただく」ことにそろそろポイントをあわせないと、いつまで経っても建設業者の声は市民に届かない。(2003.7.16)