「末続、歴史的 銅!」その裏側?

            主幹 富田正廣


 息を殺してテレビにかじりついた。世界陸上「200メートル決勝」である。日本人、いやアジア人類にとって悲願のメダル獲得なるかである。すでに日本時間では、30日午前3時を回っていた。「きょうは土曜日だー」という安堵感で、目をこすりこすり起きていた。日本“短距離界”のメダル獲得は、国民にとってもフランスの空に「日の丸を!」の思いがあった。号砲からわずか20秒38。「銅」獲得が決まった瞬間である。テレビ視聴率は夜中にもかかわらず41%を越えたというから驚きだ。オリンピック、世界陸上ともに史上初の快挙に、国内外は瞬く間に末続ヒーバーが始まった。
 翌朝、いつものように新聞を手にした。あの感動を再びと思いきや、その見出しは「末続、決勝進出!」である。何か新聞だけが蚊帳の外にあった。「末続、歴史的 銅」の見出しが一面を飾ったのは31日の朝刊である。新聞は「時間差」を埋め尽くすことができない。あの感動だけは「LIVE」でしか味わえない。世界中どこへで、感動を伝えられるのはTVであり、さらに「感動」を深く探りたいならインターネットがある。「火星大接近!」の際もインターネットによる「LIVE」中継も大人気であった。結局「アクセス不能」で見ることができなかったが、関連サイトへのリンクで「火星」をより多く知ることができた。時間差なしで「感動を味わう」こと、それを「より深く掘り下げる」ことは新聞では不可能なのである。

 世界陸上開催中の29日、ある団体の事務局長を務める県OBのOさんがいきなり、「やつぱり、インターネットは年を取ってもやらないとだめなのかな〜」と言いながら、新聞のコピーを差し出した。それは毎日新聞が掲載する「新聞時評」のコラム欄である。「私はすでに、ここ数年、ある意味では新聞の熱心な読者ではない。ニュースの大半は、仕事がら、常時接続のインターネットで読んでしまうからだ。例えば、8月20日朝刊一面では。バクダットの爆弾テロが報じられたが、その見出しには国連のデメロ事務総長特別代表は重傷とあり、死亡の見出しが載ったのは同日の夕刊であった。しかしインターネット上では私が朝刊を手に取る前に、デメロ氏の死亡を報ずる記事がすでにあった。こうゆうことがあると、その朝刊掲載の関連記事を読む動機は半減する」という内容だ。これは北大大学院の山下範久助教授の言葉である。

 もはやインターネットの存在を無視することはできない。「速報性」「動画」「静止画」「音声」「検索機能」など兼ね備えたインターネットとの共生を新聞は無視できない。いずれ新聞の「速報性」という役目は、インターネットを巻き込むための「インデックス」的な役割を負うことなるだろう。話題のインターネット新聞やインターネットマガジンが台頭する日はそう遠くはない。(2003.9.01)