「あの事件」から得たモノ

            主幹 富田正廣


 あの宗像検事が退官する。名古屋高検の検事長を最後に4月からは大学の教授に就任するという。福島県民なら「あっ!あの事件の・・」と思い起こすだろう。昭和50年に県南の天栄村で起きた水道管布設工事をめぐる汚職事件は、芋ズル式に県へと発展し、ついには県のトップ逮捕となった「福島県政汚職事件」である。その捜査にあたったのが、奇しくも三春町出身の34歳の若き検事、宗像紀夫氏であった。県内はもちろん、福島市内も毎日のようにいろいろな情報が飛び交い、天と地がひっくり返ったようだった。県庁職員をはじめ郡山や福島の建設業者、県議会議長、村長、農協五連正副会長、そしてついには県知事の逮捕と連日のようにマスコミを賑わせ、県政は大混乱に陥った。

 地元業界紙に入社して4年目、やっと親しくなった建設業者の社長や県職員の部長や課長クラスが、次々と逮捕されていく現実にやるせなさを感じる一方で、敏腕を振るう宗像検事に“正義とは”を痛烈に教え込まれた気がする。
 県政汚職事件はその後、『昭和51年4月18日、日曜日、福島県内は青空ののぞく好天気に恵まれた。知事が公選制になって9回目の知事選はこの日午前7時から県下1445カ所の投票所で始まった』で書き出される一冊の本になる。朝日新聞福島支局が、昭和51年8月から52年12月まで、235回にわたって連載したものを再調査し、加筆して「木村王国の崩壊」という単行本(=写真)にまとめた。県内ではもちろんベストセラーとなったが、著者もまた28歳の若い吉田慎一記者で小生とはほぼ同年代であった。それまでノンノンと生きていた自分に、その有能な2人の出現はショックであり、その後の「汚職」や「談合」にアレルギーを感じていったのを覚えている。本に登場した県庁職員や建設業者の方々を、その後も仕事を通して25年にわたって見続けてきた。その方々の多くは櫛の歯が欠けるように亡くなられていった。

 中には事件後15年が経ってから、お付合いを頂いた方もいる。県のTさんは、小生には雲の上の存在だった。「気持ちの上の時効」を理由に、当時の「建設メディア」に約1年にわたり「手記」を掲載させて頂いた。本にはない取り調べの場面や拘置所内での心境を悔しさいっぱいで綴った手記は、文字を追うごとに涙が溢れたものだ。手記掲載が終了したある日、最後の一冊を届けながら、いつしか親しくなった奥様とTさんを自宅の庭でカメラに納めた。庭の花々に囲まれて夫婦で微笑む1枚を「記念に飾っておいてください」と額に入れてプレゼントした。Tさんとは7年前に“ベトナム8日間”を共に旅したことが良い思い出となった。今年も年賀状を頂いたが、歩けなくなったとの噂だが、近く訪ねようと思っている。

 そのTさんと最も関わりをもった宗像検事はその後、東京地検特捜部で「ロッキード事件」、「ゼネコン汚職」の捜査に手腕を発揮して、テレビや新聞で活躍振りを拝見していた。あれから28年の歳月が経ち、宗像氏の穏やかな顔写真にふれて、時の速さ、時代の移り変わりを実感した。だが時が移り変わっても、「汚職」と「談合」を彩る事件は後を絶たない。戒名石で名高い二本松市の市長逮捕、さらに矢吹町長逮捕と県民も呆れるばかりだが、その陰で犠牲になる人間も、陥れられる人間も多く存在する。「巨悪は眠らせない」を地でいく宗像検事のような“特捜の鬼”が再来する「汚職と談合の福島県」になってはいけない。(2004.1.18)