談合のウラにあるモノ

            主幹 富田正廣


  景気の善し悪しに関係なく後を絶たないのが談合問題だ。これまでにどれたけ議論を重ねたか計り知れない。知識人や有識者、さらに役人達が「あ〜だ、こ〜だ」と、コネクリ回してやってみた。だが、「どんな方式を駆使しても、談合に勝る方式はない・・」と業者は思っている。
 一般紙は談合情報があったとして、三面に“話題の記事”として毎回、その経過と発注者側の対応を載せている。だが、その記事には事実を知らせるというほか特別な意味はない。
 新聞に載ったことで損するモノと得するモノがいる。「落札業者が決まっている」という情報提供は、同じテーブルにいたか業者か、それを不服とする業者以外にいない。公共事業の激減は2001年あたりから一層厳しさを増している。公共工事に依存する業者にとっては死活問題である。
 経済県都と呼ばれて久しい郡山市で、8月はじめに報じられた談合記事も仕事の無さから来る業者間の争い、いや潰し合いなのだ。郡山市内は業者の数は半端ではない。その激戦地で勝ち抜くにはどんな方法も論じられる。今回の談合報道がいつものパターンとちょっと違うのが「業界の関与を指摘している」と報道している点だ。今回の談合には業界のほかに業界通の人物が絡んでいるようだ。業界が「自分たちでどうにもならない」となるとこうした人物が浮上する。本人は良かれとしているのだろうが、事をさらに大きくしてしまう危険性がある。ある業界人は「公正取引委員会に睨まれないと良いが・・・」と漏らした。
  過去に談合問題で郡山の建設業者は痛い思いを経験している。発注者側も発注者側で、同じ事を何度くり返しても決まり文句で事をかわしているに過ぎない。具体的には何の解決策も見いだせないで今日に至っている。“臭いモノは元を断たなきゃダメ!」という宣伝文句が流行った時期があったが、いつも「のど元過ぎれば・・・」である。
 公共事業は一部の業者や特定の業者がいつも取れること自体おかしな話しなのである。同じ税金を払っている者なら皆平等であるべきなのだ。ひとつ工事を取ったら、次の工事からの指名はしないという方式を確立すれば、より多くの業者が平等に参加して仕事を受注してもらうことができる。本来、入札は単純に明快にやることで万民が理解できるシステムでなければならない。談合は住民にどんな不利益をもたらしているのかを考えれば、放っておけないことなのだ。新聞報道も、住民の不利益とは何かにメスを入れてこそ、記事と言えるはずだが、何の手当もできないのが現状だ。談合のウラにある実態を知らずして、談合の解決策はないが、景気が回復しないとさらに闇の世界が動き出す業界にだけはしたくないものだ。

 

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