いまどきの世相

忘れられた「卑怯」と「諫言」

   星 一男
元 福島民報社専務取締役 郡山総支社長


 高級お巡りさんの不祥事が相次いだ、と思ったら今度は少年の凶悪犯罪が目白押しだ。17歳の犯行が続いたあと、ご丁寧に1歳繰り下がって16歳の反社会的行為が相次いでいる。新聞記者の合言葉に「連鎖反応に気をつけろ」というのがある。一つの型の事件が起きると、不思議なことに同じ型の犯罪や出来事が続くのである。このところの医療事故などその典型だろう。
 昨年の横浜市立大学医学部付属病院の患者取り違え手術はひどかったが、そのあと東京都立広尾病院での消毒点滴事件など、ぞくぞく出た。それも我が国でも一流どころの病院での発生で、それはまだ続いている。まァ別の見方をすれば、サンクチュアリ・ゾーンで厚いベールに閉ざされていた医療界には実に医療過誤事件がごまんとあった、という証左であろう。それが常識では考えられないような、酷い横浜市立大事件で巨大な氷山の一角が暴露された。そして事件記者がいう・連鎖反応・が出現したのである。

 さて、少年犯罪の方だが、こんな殺風景な世情の中で、ふと気が付いた。こんなに多くの情報媒体、マスメディアがあって、事件の詳報や論評は溢れんばかりだが、文章の中に「卑怯(ひきょう)」こという文字がまったく見当たらなかったことだ。もう日本語から卑怯という言葉は消え去ったのか。卑怯とは「勇気に欠いていたり、やり方がずるかったりして、褒められた状態ではない様子を指す」と辞典には書いてあるが、私たちが受け取ってきた意味は、とてもそんな生易しいものではなかったハズだ。男子たるもの、卑怯呼ばわりされたら腹を切る、ぐらいのシビアな言葉だった。 武士道の本質とは忠と恥。武士道での恥は切腹に通じた。ここから気骨ある人格が生まれる。恥とは卑怯な行為だ。男の子が一人の弱い人間を数人で寄ってたかっていじめ抜き、金品を巻き上げ、果ては生命まで奪ってしまう。卑怯の最たるものだろう。この点を誰も突かない。書かない。武士道に通じるから死語だなんて考えているとしたら、とんだ見当違いだろう。人間が大勢で暮らす中で生み出した倫理であり、男の美学である。高々百年ぐらいで消え去る類いのものではない。

 最近、酒席で嘆きを聞く。「どうなってんだ。オレたちの子供の頃はガキ大将がいて殴られもした、がそれ以上に仲間をよその子から守ってくれた。遊ぴも教えられた。どこからか菓子をくすねて来て配ったりもした。よかったなァ。いま時、ガキ大将なんかはいないのか」という嘆きだ。ノスタルジアもいくらかは入っているが、子供の世界は180度ひっくり返り、卑怯な行為への戒めも、監視する目も、ましてや卑怯を恥じる倫理観もなくなった。学校では教えていないのだろうか。

 話は戻るが、先頃の高級お巡りさんの連続不祥事件で、佐々淳行氏は月刊誌「選択」に連載中の「続・危機管理のノウハウ」で、いま忘れ去られた言葉として「諫言(かんげん)Remonstrance」を挙げていた。新潟の渡辺県警本部長が温泉宿で管区局長とマージャンの最中に「行方不明の少女が見つかった」との連絡が入った。その時、部下の誰かがいきなりマージャンパイを崩して「本部長、すぐに現場に向かいましょう」と、怒鳴られるのを覚悟で一言ったなら、その後の事態はこうまで深刻にならなかっただろう。この諫める発言はとても勇気の要ることだが、人生を左右する大事な言葉である。この大切な言葉を発することができる部下が皆無に近い、と佐々氏は嘆く。「気骨」と「卑怯」と「諫言」の三つを思い出し、令の世に蘇らせよう。
 なんか最近、武士道は日本ではなくて、アメリカに生きているように思えてならないのである。(2000.7)