いまどきの世相

信頼というものが崩れたら・・・

   星 一男
元 福島民報社専務取締役 郡山総支社長


 仙台市の北陵クリニックでの医療殺人行為はショックだった。数年前から全国的に医療ミスについてのニユースは流れっ放しだ。記事になるのは文字通り〃氷山の一角〃でちょっとでも医療界に首を突っ込んだ人なら、「ハット、ヒヤリ」という言葉が完全に医療用語になっていることに気付かれたことがあると思う。医師や看護婦がハッとしたり、後でヒヤリとしながらも、ミスに繁がらずに済んだケースを言う言葉だ。このハットヒヤリで止まらずに患者に甚大なダメージを与えると、ニユースになってしまうのだ。

 でも医療ミスは、民療サイドで言えば「ミスを無くすことに全力を注いでいるのだが、数多い診療と従事者不足や忙しさが一瞬のスキを作ってしまう」という場合がはとんどである。平たく言えば〃起こしたくてやっている訳じやないんだ〃といったところだろう。ところが、北陵クのケースは「やりたくてやった、殺したくてやった」のである。末必の故意どころか、完全に殺意を持ったコロシだ。因器が筋弛緩剤(きんしかんざい)という、名探偵コナンの推理にでも使えそうな〃近代的〃殺人なのである。

 …で、これで受けたショックというのは、『信頼への崩壊』への底知れぬ恐怖感なのである。この世の中は、いろんな場面での行為が信頼に基づいて行われている。例えば、床屋さん。その店のご主人や理髪師を全面的に信頼しているから、寝たままの姿で鋭利なカミソリを持った人にのどや顔を剃ってもらう。何時、オレの寝首を切られるか、などと考えたら、とても床屋には行けたものではない。タタシーもそうだし、食堂やレストランでも全幅の信頼があるから、出されたものを〃うまい、うまい〃と食べるのだ。〃毒は入っていないか〃〃腐っていないか〃などと心配しなければならないのでは飲食業は成り立たない。銀行でも渡されたお札が〃偽札では〃と心配する社会では悲惨だ。もっとも、30年ばかり昔のブラジルではいちいちお札を透かして見てから受け取った銀行があったっけ。

 この「信頼の崩壊」が起きたら最大のダメージを愛けるのが、命を頂ける医療の崩壊、病院への不信感であろう。可愛い看護婦が腕に刺す注射一本も、薬局で渡される薬も信じられなくなったら、病気は治せない。山に分け入っで薬草を探してきて自分で調剤するしがない。まるで縄文の時代に逆戻りである。

 北陵クの守某は入職するときの話と実際の待遇が違ってたからリベンジにやった、みたいなことを言っているが、病院の職員が病院の根幹である医療でこんな事をしたら、北陵タどころか医療界全体の信頼を失い、とんでもない事態が起きる、と予想できなかったのか。 石器を自分で埋めた藤材某と、影響の甚大さに思いがゆかなかった点では同じだが、命を弄んだ守某の方がはるかに罪は大きい。(2001.3)