常識がひっくり返る


 私ごとで恐縮だが、5月18日に県内マスコミ人OB会「福島ペンクラブ」の第5代会長に選出された。この会は今年で創立25周年を迎え、同日に記念事業として会の顧問でもある作詞家の丘灯至夫さんご夫妻による「丘灯至夫トークショウ」を催したが、500人近い市民が参加して大成功を収めた。このトークショウは内容も密度の濃いものだったが、丘さんの発言の中で耳に残ったことが一つあった。「いま、ヒットチャートに登場している歌はほとんどが先に曲が出来て、それに合わせて歌詞をつけるやり方なんです。これでは、一時的にはヒットしてもすぐ消えてゆきます。長く残りませんね。泡みたいなもんです」というくだりだ。「高校三年生」など名曲を幾つも作詞した立ち場からすれば憤懣やるかたない、というところだろう。でも、丘さんの肩を持つまでもなく、私も「歌は言葉だ。言葉は心だ」と思っている。カラオケを歌うときでも歌詞の意味が通 じない歌い方はだめだ、と心掛けている。言葉として意味がわからない歌などナンセンスものだろう。曲に当てはめて後から歌詞を付けるなんて邪道どころか、基本的におかしいことである。歌謡曲作りの常識がひっくり返った。今の世の中、ほかにも常識が逆さまになっているケースは多い。

 昭和から平成になって詐欺師の手口が180度ひっくり返っているという。そのいい例が紳士録詐欺だそうだ(毎日新聞余録)。これまでは「紳士録に載せてやる」と騙したのが、今は掲載されている人に「削除してやる」と金だけだまし取るのである。現代は紳士録に名前が出ることをステータスと考えるより、プライバシーを世間にさらす、と敬遠する風潮がはびこってきたためである。そういえば電話帳に掲載を拒むケースも増えている。団地の案内地図に名前を載せない例も多い。
 スキャンダルにまみれる国会議員なども常識を覆された好例だ。そして外務省の役人に至っては常識が欠如した人間失格集団であろう。そういえば昔、記者クラブに東大出を鼻にぶらさげた東京紙の記者がいた。みんなで昼食に取ったざるそばに、くだんの記者はいきなりつけ汁をぶっかけて食おうとした、という実話があった。東大を出てもそばの食い方の常識も知らなかった、というお粗末の一席。(2002.6.20)