ハインリッヒと塚原ト傅


 21世紀にはいり、世の中は科学が進みlT革命のまっ只中だが、重大事故は一向に無くならない。スイス・ドイツ国境上空での航空機衝突事故なんて、あの広い大空でなんでぶつからなくてはならないのか不思議なくらいだ。「旅客機の便数が一昔前とは二桁も三桁も違うのだから、事故発生率からみれば危険率は交通 事故より格段に少なく、空の旅は安全だ」という論は分かるが、空で正面 衝突、と聞けば素直にうなずけなくなる。第一、互いに衝突防止装置を付けているのに、その反対の指示を出したりしていては、どうにもならない。いわゆるヒューマンエラーである。機器の欠陥を二重にも三重にも防ぐフェイルセーフを付けても、人間がミスを犯すことを無くさなければ始まらない。このような重大事故の陰には実は極く小さい出来事がごまんとある、という法則がある。建設業界でも既に知られているハズだが「ハインリッヒの法則」と呼ばれるものだ。いわく「1つの大きな事故の背景に29件もの中規模の事故が発生している。さらにその後ろには取るに足らないような小事故が300件もある」という内容。いま東京女子医大で騒がれているような重大医療事故が明るみに出る度にこの法則が持ち出される。300件の小事故を医療界では「ヒヤリ、ハット」と呼ぶ。ドイツの航空機事故の調査でも、次々に些細なミス、例えば取ってならない時間に休憩していた、とか管制指示を出す時間が何分か遅れていた、とかが明らかになっている。いま流行りのISOは認証を取得し、それを継続していればヒヤリ・ハット的な事故を常に防げる、というのが重要な目的の一つだ。300件が無ければ重大事故には繋がらない。室町時代の剣豪として知られる塚原卜傅の逸話を聞いたことがあると思う。ト傅の高弟で免許皆伝に近い男が道端の暴れ馬にいきなり蹴られたが、ヒラリと身をかわして難を避けた。「さすが卜傅の高弟」と町人は褒めそやしたが、ト傅は渋い顔で「まだ免許皆伝は遠い」とつぶやいた。真意が分からない町人たちは「では卜傅先生ならどうする一」と外出日を狙って暴れ馬を置いたところ、ト傅は馬の反対側をさりげなく通 り抜けた。後で「蹴られて難をかわすのは修練で誰でも出来るようになる。馬には蹴る習性がある。これを忘れて馬に近づくのは油断というものだ。この先に起こりうる全てを予測察知し対応出来るのが真の名人だ」と諭したという。現代産業界にも充分に通 ずる話だろう。《写真は福島民報7月25日付》(2002.7.30)