腕のいい洋服屋


 とても着やすい洋服を仕立てる腕のいい洋服屋がいた。当然、注文が舞い込み店は繁盛した。洋服屋もここを先途と、仕立ての合間に注文取りにも出歩いた。ますます注文が増え、一人では間に合わなくなり、弟子を雇い入れて洋服を作らせた。初めは弟子の作品に手を入れ、自分が仕立てた物と同様に仕上げていたが、何時の間にか、それもやる時間が取れなくなり、本人自身も店の名前だけでも売れるような気になって、弟子の洋服をそのまま顧客に渡すようになった。そして、気が付いた時、注文は激減し店は傾いていた。

 一つの商売秘話を読んで頂いた。事業を興し、大きくしてゆくのは血の滲む努力の蓄積によることは古今東西、揺るぎない自明の理だ。事業の芽を出すため命を刻むような苦しみがあって、はじめて世に出る。勿論、才覚が絶対必要なのだが芽が出て走り始めると、今度はより大きくするために日夜、粉骨邁進する。そして功なり名を遂げて一流企業となる。ところがこの過程で事業体の組織が大きくなればなるほど、危険に見舞われていることに案外気が付いていない創業者・経営者が多いのではないか。その危険とは冒頭に挙げた洋服屋の結末のことだ。組織が大きくなるにつれて、創業者が追求しやっと手にした顧客の求める品質、その為の技術、企業モラルなどの”宝物”が従業員に完全伝達されず、店のブランド名だけが一人歩きしてしまう、という怖さのことだ。日本ハムの悲劇も伊達物産も、結局は創業時の精神が伝わらず偽装表示を平気でやる体質になっていた。建設業界だって同じことが言えるのではないか。

 この辺で「時間の配分」ということを考えてみてはどうか、と思うのだ。会社が大きくなるにつれて、創業者とか経営者は下からの報告を聞いて事業の状況を知り、指示を与えるだけで一日が過ぎ去ってしまい勝ちだ。業界とのお付き合いも多くなるだろう。でも一日の時間の配分をやって、ごく短い時間でもいいから「次の時代のための時間」さらには「現場に下りて自分の手で生産作業に参加、品質を自分の目で確かめる時間」を割くのだ。また従業員の生の話を吸い取るのもよい。そうしないと、知らず知らずの間に現場から遊離し、指示を誤り、品質は守られない事態を招く。結果は洋服屋の通りである。

 いわき市で勤務していたころ「じゃんがら」本舗を訪れると、荒井政江社長(故人)が毎日、工場に入り職人が作った餡を目と舌、手で確かめていた。気に入らないと大きな鍋いっぱいの餡を捨てさせた。あの後ろ姿が目に浮かぶ。(2003・2・13)