いよいよ正念場だ


 6月から夏。ツユを経てあと1カ月もすれば、またカッと照りつける太陽の季節になる。ところが、この夏をイライラしながら迎える方々がいる。ご存じ東京電力という日本有数の大会社のお偉方だ。福島県と新潟県に設置した原子力発電所17基のうち、16基が発電出来ないまま東京の停電が必至の状況に置かれているからだ。17基のうち、新潟がl基だけ発電再開を認めてしまった。原子力保安院がOKのお墨付きを出し、平山知事が発電を容認したからである。この辺に佐藤福島県知事との問題への対処の上で哲学が異なった。発電機ごとに安全を確認するという新潟方式に対し、本県は「原発全体での安全を確認の上で」という姿勢である。

 今回の騒ぎは、根底に東電側の地元を蔑ろにしたような事故隠しがある。大会社にあるまじき隠蔽体質、地元の安全など企業利益のためには遠慮会釈なしに踏みにじってしまう、という自己中心主義が問題なのだ。物理的な安全ではなく、精神的な姿勢・態度の改善が焦点なのである。機械的に大丈夫だから、すぐ発電させてしまう、では少々軽すぎはしないか。すでに東電側は首都圏の停電対策を動き出させている。ミス節電まで登場した。経済産業省も本県へのアピールを出し始めたし、日本経団連なども動き出すだろう。この闌で先に述べた”正念場’は目前だ。マスコミもようやく首都圏大停電に警告記事を書き出した。ところが、月刊誌「選択」5月号に「地元の原発再開アレルギーは税収減を恐れ、早期解決する?」といった記事が掲載されている。「東電関係者は“停電か運転再開かの選択となれば、多少ヒビが入った原発でも運転しながら検査を進める抜け道が許されるのではないか”と楽観する」「万一、首都圏が停電になればパニックになる。そのためには見切り発車も許容される、という読みだ」という内容だ。さらに福島県の核燃料税は原発が動かなければ税収ダウンになり、この面からも発電再開の推進力になるだろう、と書いている。

 確かに原発が動かなければ地元経済は潤わない。だから双葉郡各町村では再開容認の要望の方が強いだろう。でも今回の問題は首都圏がいかに地方住民のことを理解せず蔑ろにしていたか、を思い知らせる絶好の機会だ。3歳児がアメを貰って泣き止むような訳にはゆかない。だからこそ“正念場”なのだ。ここは県も県議会も腰を据えてメリハリのある解決をして貰いたいのだ。(2003.5.22)