"王国"は所詮、砂上楼閣


 埼玉県の土屋義彦知事一族が栄華を誇って「土屋王国」の名をほしいままにしている話は早くから耳にしていた。高山樗牛の「滝口入道」じゃないが「やがて来む寿永の秋のあわれ」のように何時かは平家と同じ道を辿るんじやないかと危ぶんでいたら、やっぱり“平成の夏のあわれ"になってしまった。

 それにしても、娘の市川桃子とやらの振る舞いは、報道されているのを見ているだけでも相当に知事の権力を傘にした女狐だったようだ。恐らく、傍若無人の行為だったのだろう。県が作った人工湖に「西秩父桃湖」などと名前を付けたり、県政に口を出し表舞台にしゃしゃり出ていたなんて、女らしいつつましやかさなど微塵も感じられない。そして、土屋知事の親バカぶりにも呆れ果てる。これが国家三権の長のイスに座ったご仁だ、と思うとハラが立つ。「これまで娘に何もしてやれなかったから一」と異常なくらいに娘たちを溺愛。その結果、何年か前にベストファーザー賞まで貰っている。でも、それとこれとは違うんじゃないか。娘可愛さで県政に口出しさせ、県の施設に娘の名をつけるなんて、文字通りの公私混同も極まった。その辞職劇も知事室の捜索を受けても「辞任はしない」などと強気ぶりだったのが、1時間後に俄に辞任表明となった。その踏ん切りの悪さもいまいましい。これが参議院議長から知事に転出して全国知事会長のポストに座るベテラン政治家の引き際か。

 ‘王国’という呼び方はわれわれ福島県人にとって、あまりいい響きではない。四半世紀前、福島県にも“王国”があった。「木村王国」と朝日新聞が名付けた。当時、県政記者だった身としてはたちまち、あの時代にタイムスリップしてしまうのだ。昭和39年3月下句、佐藤善一郎知事ががんで亡くなり、その後を継いだのが木村守江知事だった。自民党大野派の中堅で大臣のイスが目前にあったが、県連の強い要請に大臣を捨てて県政に転じたのだった。誠実で生活は質素。知事になってからの昼食は何時もうどんだった。酒もやらず、夜は8時には寝た。“道路知事”として高度経済成長時代の福島県の基礎を作った名知事だった。でも4選を重ね全国知事会長になった直後に汚職が発覚、逮捕され「木村王国」は崩れ去った。どうも知事会長というのは剣呑だ。逆に言えば、知事会長になるほど長期政権の座にあれば、どんな人物でも身の処し方が狂ってしまうのかも知れない。所詮、政治の世界の“王国”は「砂上楼閣」だと悟るか悟れないか、が分かれ目なのだ。また一人、晩節を穢した。(2003・7・15)