「悉皆(しっかい)出します」と「他罪主義」


 月刊誌「ウェッジ」を“斜め読み”していたら、2つばかり目に止まった言葉があった。「悉皆(しっかい)出します」と、「他罪主義」である。
 「悉皆出します」とは明治末期の大阪財界人松本重太郎の言葉だ。松本は第百三十銀行の創業者で、アサヒビールの基となった企業を興し、また繊維会社などの社長も務めている。その松本は日露戦争後の不況の中で経営危機に陥った第百三十銀行を救うため、安田財閥の重鎮安田善次郎に支援を頼んだ。その際に「悉皆出します」と言って私財の全てを差し出した経営者だった。男としての潔い生涯を送って晩節を穢さなかった人物だ。“西の渋沢栄一"と呼ばれている。悉皆、つまり「ことごとく」というところに明治人の気骨とともに、経営者の責任感、倫理観が浮かび上がってくる。評論家の福田和也氏は著書の『いかにして日本国はかくもブザマになったのか』の中で「老若男女、どの世代、どの分野からも音を立てるようにして責任感や倫理観というものが退いてしまった」と警鐘を鳴らしている。そんな中での松本重太郎の「悉皆出します」の言葉は、企業家としてのスピリットを蘇らせることの大切さを訴えている。

 「他罪主義」というのは別に学問的に系列化された言葉でも用語でもない。三重県松阪市にある本居宣長記念館長の言葉「私は今の世の中を他罪主義と呼んでいるんです」にウェッジ編集子が感銘した話にあった言葉である。全てを他人のせいにする現代の風潮をズバリ言い当てている、と思うのだ。金に汚れた政治家は己の悪行を秘書のせいにし、責任を果たせなかった経営者は業績不振を社員のせいにする。子供の教育は「学校が悪い」「家庭が放任している」と罪をなすり付け合うだけ。他罪をわめき立てて、少しも自分の罪、つまり自罪主義を認めようとしない風潮がはびこっている。職場でも自分の仕事の成果が上がらない言い訳に「上司がやる気がないから」とか「部下が動かないから」と他人のせいにばかりしていて「それじゃあ、自分はどうなんだ?」との問い掛けを忘れているんじゃないか。

 バブル崩壊後を“失われた10年”と表現するが、失われたのは景気ばかりではない。経営倫理も、社会生活倫理も失われたのだ。「リストラという従業員首切りだけが経営建て直し策」とバカの一つ覚えの経営者も、創業社長ならともかく、ほとんどは元従業員だったハズだ。企業にとって人材の重要さが分からず、人件費だけ削ればいい、というのも一種の他罪主義ではないのか。(2003・8・15)