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Home >斜め読み聞きかじり >2008/4/30

花の首を切るバカは許せん!

建設メディア顧問
マスコミ人OB会福島ペンクラブ会長
元福島民報専務・編集局長 星一男氏
星一男氏

 待ちわびたサクラが咲いて、散って、今年も花見が終わった。このところ、サクラの花を眺める度に思いが強くなることがある。「サクラの花は老木ほど綺麗だ」ということだ。幹まわりが二かかえもあって、木肌が黒ずんで、太い枝が半ば朽ちているような桜の古木に、まるで沸き立つ雲か、と思えるように花がみっしり付いていて、その薄紅が夕闇に浮かぶさまは思わず足が止まってしまう。若い樹ではこうはいかない。初々しいが、花の数も少なく寂しげだ。
 人間もこうなのではあるまいか、と思えてくる。”人間は自分が老人と思ったら老いたのだ”という言葉がある。自分から「老いた」などど言ってはいけない。暦の年数で年寄りだ、と自分も思い、人も思ってはいけないのだ。確かに肉休的にはくたびれて機能が衰えてくる面が多々ある。でも、加齢によって分別など、ますます盛んになる面もある、桜の古木のように…。

 花の美しさに惹かれる心が年々強まっている、と実感している。各地でチューリップなどの街路の花が無残にもちょん切られている事件が相次いでいる。それに対する憤りがきわめて強くなった。“なんたることをするんだ" とニュースに接する度に怒りがこみ上げてならない。個人的にいえば、チューリップは花の美しさの原点だ。小学1年生の初めての遠足は町近郊のチューリップ園だった。そこで色とりどりに咲き乱れる丸い大きな花に、子供心ながら強く惹かれ、それがいい意味でのトラウマのようになって生きてきた。図画の時間は必ずチューリップを描いた。そしてそれは年を経るに従って弱まるのではなく逆に強まっている。数年前まで目の端でみていたふっくらとした花を、今は立ち止まって眺める。色や形が多彩なのも大きな魅力だ。そんな花の首を切るバカモノがいま横行しているのだ、許せない!

 サクラを愛で、サクラとともに生き切った西行法師の歌がいつも心に引っかかっている。「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」。花はもちろんサクラ、如月は2月、望月は満月である。いまの暦からすれば1年で最も寒気の強い2月に?と、いまいち実感が伴なわなかったが、試みにことし東京でサクラが開花した3月22日を旧暦で調べたら2月15日だった。如月の望月である。「西行さんはこの日にこの世を去りたかったんだ」と思うと、なんか昔の雲の上の人物がグッと身近になったような気がしてくる。実際、西行はこの和歌のとおりに亡くなった、という。うらやましいネ。(2008・5・1)





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