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夏が来れば思い出す…

建設メディア顧問
マスコミ人OB会福島ペンクラブ会長
元福島民報専務・編集局長 星一男氏
星一男氏

 “夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬 遠い空”という「夏の思い出」は江間章子の名曲だが、筆者はこの季節になると初めて買った冷蔵庫のことを思い出す。昭和35年(1960)4月、福島民報社に入社5年目で初めて転勤で平支社報道主任(現いわき支社)に赴任し旧平市の市営住宅に住んだ。当時、民報の月給は県庁職員並みを心掛けていたから安かった。ただ外勤記者になるといろいろな余禄があった。宿直料や夜勤料、そして自前のカメラで撮った写真が紙面に掲載されると写真代が出た。2段扱いなら150円、3段なら200円になった。まだラーメンが50円かそこらの頃だ。1ヵ月で清算して月末に経費として支給されたが、仮に毎日2段写真が1枚ずつ載ると30日×150円で4500円になる。月給が2万円台だから、これは大きかった。「先輩の中には写真代で赤ん坊を育てた人がいた」という話が伝わっていた。

 平支社報道主任と言っても2年後輩の記者が1人だけだから1日置きに夜勤が来るし、浜通り版の広いスペースを埋めるため馬に食わせる程の原稿を書かねばならなかった。催し記事は必ず写真付きだし事件事故のカオ写真なら1枚200月。だから平支社時代は多い月は1万3000円、少ない月でも9000円の写真代が手に入った。かなりの部分は飲み代に化けたが、その年の夏、女房が「冷蔵庫が欲しいわネ」とつぶやいたのをキッカケに、デパートに行って月賦計算したら写真代で払える計算になった。「よし、買おう」ってんで衝動買いしてしまった。この冷蔵庫で出来る氷を一番喜んだのが3歳になったばかりの娘だった。今でも「麦茶に氷と砂糖を入れた飲み物のうまさが忘れられない」という。ところが、この冷蔵庫購入がちょっとした物議を醸したのだ。そのころ一般家庭用冷蔵庫(当時は電気冷蔵庫と言った)は市販され始めたばかりで、民報社では役員クラスは購入していたかもしれないが平(ひら)社員では皆無だったのだ。それが、「平支社の記者が電気冷蔵庫を買ったらしい」と本社に伝わり、編集局のおエライさんが「なんでアイツが買えるんじゃい」、デスクの中では「生意気だ」などという声が出ている、と聞かされてビックリ仰天。でも結局は「アイツが買ったのならオレも・・・」と無理やり購入する向きが相次ぎ一時冷蔵庫ブームになったという。「削り氷(ひ)にあまづら入れて、あたらしき金椀(かなまり)に入れたる」(枕草子)。清少納言のころは夏に食べる氷は上流階級の夏の最大の賛沢、庶民には高嶺の花だった。(2009・7・24)





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