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びっくりしたベルリンからの記事

建設メディア顧問
マスコミ人OB会福島ペンクラブ会長
元福島民報専務・編集局長 星一男氏
星一男氏


 11月4日付け朝日新聞の国際面を読んで、びっくりさせられたことがあった。ドイツのベルリン市内で、今からちょうど20年前に崩壊した「ベルリンの壁」に対して復活を望む声が15%ある、という報道についてである。ご存じのように、1989年10月9日、当時の東ドイツのクレンツ政権はとうとう西ベルリンへの出国の自由化に踏み切りベルリンの壁は崩壊、翌90年に東西ドイツは統一された。それは共産主義が自由主義に敗れ去った象徴的な出来事であり民主化の歴史に大きな1ページを画したのだった。“壁”は民主主義を取り戻した証(あかし)だったのに、それを復活だって?

 あの頃、東ドイツ国内は経済が立ち遅れ、89年11月4日には東ベルリン市内で建国以来、最大規模の市民100万人による反政府デモが行われ「自由を!自由を!」と民主化を要求した。西の自由主義社会と東の独裁体制、それをクッキリと分け隔てたのがベルリンの壁だった。それが崩壊して東西ドイツは併合され、当時の西ドイツのコール首相は「数年後には(疲弊した東ドイツにも)花咲くようになる」と宣言したのだった。それから20星霜。いまだに東西ドイツの格差は埋まらず、差別が横行している。その結果、「オルスタジー」という言葉が口の端にのぼっているという。ドイツ語のオルスト(東)とノスタルジー(郷愁)が組み合わされた造語である。「こんなことなら壁の東のドイツの方がまだましだ」という失業者や落ちこぼれたちが「壁があった方がいい」と思うようになったのだ。発展の象徴的な出来事から退歩へ・・・、この20年は一体何だったんだ、という思いで少々ショック気味である。

 このニュースに連想ゲーム的に湧いてきたのが、先のいわき市長選である。1966年に新産都市指定獲得で14市町村が大同合併して当時は全国一の広大な面積を持つ30万都市になった。しかし14枚の壁は形だけは取り除いても中身は容易には溶け込まなかった。特に平を中心にした北部と磐城、勿来を軸にした南部の融合は地形的な距離もあって、合併合意書にサインするような簡単なものではなかった。あれから43年。いまは?道路が縦横に張りめぐらされ大都市の様相は見せてはきたが、旧町村部はどうか。何よりも、先の市長選はいわば”南北戦争”と陰口をたたかれた事実がある。勿来出身の櫛田前市長に対抗した平の渡辺現市長は北部が市政を奪還する戦いを挑んだのだ、という評論がまことしやかになされている。40年過ぎて、まだ南北なのかナァ。(2009・11・10)







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