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シベリア抑留と「岸壁の母」

建設メディア顧問
マスコミ人OB会福島ペンクラブ会長
元福島民報専務・編集局長 星一男氏
星一男氏


 かの太平洋戦争の傷がまだまだ残っていることを思い知らされた。シベリア抑留者に対し給付金を支給するという特別措置法案が今国会で成立する見通しになったという。敗戦と同時に旧満州にいた日本軍60万人が「トウキョウ、ダモイ(帰国)」と嘘をつかれて乗った貨物列車は北へ向かい、バイカル湖周辺へ。それから最長11年もの間、極寒と飢えの中で重労働を強いられ1割の6万人が亡くなったあの悲劇。労働はもちろん無報酬だった。スターリン率いるソ連の氷のような冷酷さを象徴した無法な抑留だった。極限の中で生き延びようとして起きた日本人同士の対立が暴露された「暁に祈る」事件、共産思想に染まった兵士の赤旗で埋まった引揚げ船の姿が敗戦の混乱に輪をかけた。

 このシベリア抑留と聞くと、すぐ連想されるのが端野イセさんの名だ。東京・神田の洋服店の未亡人、そしてその一人息子が端野新治さん。立教大学在学中に学徒動員で徴兵され満州へ。敗戦でシベリアに抑留されて、あたら若い命を落とした。でも母には敗戦の混乱の中、消息は届かない。敗戦と同時にいたるところの戦地から将兵の帰国が始まり、舞鶴港はじめ各港に引揚げ船が帰ってきた。それが着く舞鶴の岸壁には必ずイセさんの姿があった。満州から引揚げてきた兵士にわが子の安否を尋ねて回る。「亡くなった」という不確かな情報を信じない。「あの子は必ず生きて帰ってくる。オッカサン、只今!って言って」。そして岸壁に立っこと10年。♪悲願十年、この祈り、神様だけが知っている。流れる雲よりも、辛い定めの、辛い定めの、杖ひとつ。

 ご存じ「岸壁の母」の物語である。端野さんをモデルに昭和30年に藤田げんとの作詞で作られたこの名曲は、はじめ菊地章子がポップス調の歌い方でデビューした。その後に浪曲師の双葉百合子が科白付きで歌って大ヒら卜した。科白の♪ああ風よ、こころあらば伝えてよ、愛し子待ちて今日もまた、波涛砕くる岸壁に立つ母の姿を…が泣かせる。そのイセさんも昭和の終わりに亡くなった。そして双葉百合子も今年限りで引退するという。シベリア抑留もこれで遠い歴史の彼方に姿を消すのかと思っていたら、給付金の話である。元抑留者の中で1割強の8万人が生存していて平均年齢が88歳、米寿を迎えている。いまさら25万円から150万円を支給されても人生は戻りはしないが、これもケジメというやつか。法案では死者の確認や実態調査をすすめ、後世に伝えることを求めている。ソ連の非情な仕打ちを歴史の闇に隠してはならない。 (2010・5・31)






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