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Home >斜め読み聞きかじり >2010/12/4

韓国にはまだ防空壕があったんだ

建設メディア顧問
マスコミ人OB会福島ペンクラブ会長
元福島民報専務・編集局長 星一男氏
星一男氏


 11月23日、日本は勤労感謝の休日で紅葉狩りなどを楽しんでいるさ中、韓国では黄海に浮かぶ延坪島が北朝鮮からの砲撃を受けていた。住民は防空壕に逃げ込んだというニュースに、65年の歳月がいっぺんに吹っ飛んだね。思わず「韓国には、まだ防空壕があったんだ」と叫んでしまった。
 目下、後期高齢者である身にとって、防空壕という響きには重苦しいようないろんな思い出がひそんでいる。戦争末期に旧制中学校に入学して、まるで陸軍の内務班(兵舎での制度)もどきの学校生活に明け暮れした。配属将校がいて軍国主義の教育が罷り通っていた。怠ければ軍刀の鞘で殴られた。夏休みは島に合宿して、泳げない生徒は小舟から海に放り込まれる。無理矢理、泳ぎを覚えさせるためだ。アップアップしながら溺れる寸前に辛うじて浮かぶ技を身に付ける。家に帰れば敵機の空襲だ。真夜中にB29の大編隊が頭上を飛んでいく。日本軍の高射砲などさっぱり当たらず、線香花火のように微かに赤い炸裂を見せて消える様子を、庭に掘った防空壕から顔を出して眺めた。敗戦直前の昭和20年7月下旬になると連日、艦載機グラマンF6Fがわがもの顔にやってきて、工場や鉄道を爆撃、機銃掃射をやっていく。大胆なパイロットは顔が見えるぐらいに低空飛行で屋根をかすめて黄色い薬莢をばらまいてゆく。そのつど防空壕を出たり入ったり、何日も寝泊りしたりした。誰もが財産などどうでもよくなり、先の見通しなど誰も持っていなかった。とにかく手作りの防空壕の中で今の生命を守るのに精一杯だったのだ。
 
 それが、この21世紀の御世に防空壕で命を守る姿が出現した。「時代錯誤もいいところ」と一瞬思ったが、すぐ朝鮮戦争はまだ終わっていなかったことに気付いた。1950年6月25日に突如、北朝鮮軍が北緯38度線の国境を越えて大韓民国を攻撃して勃発した悲惨な戦争だった。アッという間に怒涛の攻めの北鮮軍は釜山近くまで占嶺、韓国が無くなる寸前にアメリカ軍を主軸にした国連軍が仁川に上陸して一気に失地回復、今度は平壌を占額して北鮮軍を鴨緑江まで追い詰める。そこに登場したのが義勇軍と称する中国軍だった。こうして一進一退のまま、3年後に休戦協定の締結に漕ぎ着けたのだが、この調印に韓国は拒否して加わっていないのだ。まだ戦闘状態なのである。
 日本では音楽も映画も食い物も韓流ばやりだが、韓国はキナ臭いものを背に負っての繁栄であることを砲撃事件で思い知らされた。金正恩などという息子に権力を世襲する封建国家と同一民族の韓国。これに比べたら日本の若者なんて、なんとノー天気なものか、と今回はつくづく考え込まされたよナア。
(2010・12・10)






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