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「家族を見直すこと」とは?

 檀家であるお寺の大般若法要に初めて参拝した。年回忌供養と家族全員の諸願成就を祈祷するお寺様の年間行事で、本堂には多くの参拝者が家族共々参列していた。古式豊かに執り行われる法要は故人を偲ぶとともに、大勢の僧侶らによる大般若経の転読は、心までもが洗われる思いだった。その法要の前に「家庭を見直す」という説教があった。

 住職曰く、「昔は大家族制で、爺ちゃん、婆ちゃんらにいろいろと教わったり習ったりしたもの。みんなが集まり食事をしり、話しをしたりする場所があり、家長である親父さんの威厳は学校の先生以上に怖かった。自然と社会に馴染む下地は、大家族の中で出来ていた。現代は“核"家族化してしまい、家族が一堂に集まる『団らんの場』もなく、食事時間もバラバラ、それぞれの部屋で好きなテレビを見る。家族が一家団欒する場所もなければ、父親の居場所もないのが現実。家族全員で家族とは何か、父親の権威とは何かについて見直す必要があるのではないでしょうか」と話された。小生も要所々にうなづき、メモを取った次第。

 だが、「ある一面で日本の教育はここ50年で崩壊したなー」と思いながら聴き入っていた。戦後生まれのわれわれ世代"も、親からも、先生からも厳しく躾られて育った思い出がたくさんある。その一方で、子ども達には、物資の豊かに連れて、育て方にまで甘さが滲んでしまった。その子どもが子どもを産んでも、教育ひとつできないのは当たり前である。核家族が進むに連れ、祖父や祖母の存在も知らない子どもが増えたのも、親の面倒も疎かにする世代が増えてきたからである。そこから人間の思いやりや痛みの分かる子どもが育つことはあり得ない。

 我々の教育は一体何が間違っていたのか、大人達は子どもを責める前に、自分たちの過ちに気づかなくてはならない。「子どもは嫌いだ」とか「産んでも育てるのに大変だ」「夫婦だけの生活をエンジョイしたい」という呆れた大人もいれば、自分さえ良ければという大人もたくさんいる。大人達はこれまでを反省し、根本的なところから出直さないと心豊かな、美しい日本は「絵本の中」にしか存在しないことになる。“キレル"子ども達の存在は、教育と家庭を疎かにしてきた我々への警鐘なのだと感じている。家族を見直すことは「日本を見直す」ことである。それにもうひとつ、住職曰く、「父親の復権」にかかっているのである。(2004.4.5)