【寄稿】

住民による住民のための
    「魅力のある街づくり」

フォトジャーナル  長尾昌克

 一昔前までは「街へ行くか?」が合言葉でしたが、車社会の現在は「郊外へ買物に行くか」と逆転した言葉となっています。品数が豊富で格安の品物の中から、自分にあった商品を気軽に選ぶことができる大型量販店が続々と郊外に出現。無料駐車場が完備され安心して車で直接乗り着けられ、ほぼ一カ所のお店で事足りる利便性には、私も納得する一人です。私が小中学生時代だった今から40〜50年前の社会科の時間に、アメリカの各家庭には大型冷蔵庫と車を所有しているので、日ごと買い物をする日本とは違い、週未ごとに大型スーパーに自家用車で出掛け、一週間分の食料品を大量にまとめ買いする豊かな国と当時の日本との生活格差を教わった記憶があります。アメリカを語る先生の話に羨望の眼差しで聞いていたのは私ばかりではなかったはず。

 しかし、いつしか自分が車社会にどっぷりと浸っていると想像もしていませんでした。中央資本の物流大型店が地方進出始めたころから、地方の地元商店主たちは危機感を抱き、官界のご指導に従いひたすら保身に努めた。しかし、結果はご覧のとおり(写真=福島市パセオ通り。かっては福島の最大の繁華街だった・・・)市中心部は空洞化したのです。シンポジウム等では、有識者や専門家と称する一部の人、そしてマスコミ関係者たちが講師として、あるいはパネラーとして意見を述べる会合がよく開催されます。確かに彼らには職業上の立場から、その筋の情報を多く所有しています。しかし、成功した事例を真似た街づくりをしても、それはあくまでも模倣であり、本当の魅力ある街づくりが出来るとは思えません。“よさこいソーラン踊り”が流行しているからといって、そっくり真似ても、本場の札幌に勝るはずがないのです。真似はあくまで真似で本物にはなり得ないのです。

 では、どうすれば良いのか苦慮される方もおられるでしょう。それは、従来の売る立場の自線から消費者の目線に立ち、前例のないことをすれば良いのです。マチは事業者だけの街ではないのです。各種団体の代表者でなくとも、我がマチがこんな街だったらと一般市民も考慮しています。消費者があってこそマチは成り立つのです。もっと不特定多数の一般人たちの話に耳を傾ける必要があるのではないかと思います。事例のないことをするにはリスクも大かも知れませんが、他にない魅力ある街づくりは出来ないのです。また一般の人々の意見を収集し、反映させるのが行政やマスコミの役目ではないのでしょうか。

 私には街づくりに関して大先輩と論じたときに、私の意見に対し「有能な学識者や役人が思考しているので、学歴もないお前の話を聞く必要はない!」と一喝のもとに否定された経験があります。高学歴・学識・有識・見識という鎧で武装し、論議という武器で攻める。官僚とてしかりである。戊辰戦争以後、中央集権を図る役人の育成・保護に専念して来た。しかし、一世紀以上過ぎた現世では、“お上”と言う意識から脱皮し、国民の生活向上を計るサービス業の一つであるとの謙虚さを持つべきです。そして、会議の名称は変わっても出席するメンバーとはいつも同じといわれないように人選の考慮も必要です。より多くの市民が自由に参加し「生の声」を反映させるには、もっと開かれた行政にしなければ他の都市とは異なる独創的な「魅力ある街づくり」は建設出来ないのです。(04.10.22)