市民のページ

私はこんな街に住みたい!

フォトジャーナル 長尾昌克

私は当建設メディアの協力の元で、ここ数ヶ月の間に建設関係の地方の活性化会議や講演会等を一聴講者として拝聴する機会が数回ありました。どの会議や講演会においても主催者のあいさつの後、演題に精通された大学教授や研究所長等の肩書を持つ“先生”と呼ばれる高名な方々の講演に移ります。どの講師の方々も「どこどこでは、こうして成功した」などと実例を挙げて話され、私たち聴講者にも大変参考になります。
 しかし、大変恐縮ですが、先生方がどんなに素晴らしい講演をされても、肝心の聴講者に問題があるのではと、日ごろから思っています。大抵の人は「どこそこで成功した」とか「うまくいっているので」とかの事例を聞き、「それじや我が社も」と追随する企業が多いのではないのでしょうか。 私が思うに、講師の方々は「真似をしろ」と言っている訳ではないようです。その話からヒントを得て、先陣を切ることが大切と言っているのだと思います。それが発展につながる発想の転換なのです。確かに未踏の地に踏み込むのは誰しもが多大のリスクと大きな不安に駆られます。例えその道が獣道であっても、意欲ある人はその道筋に踏み込む勇気と度量を持ち合わせています。
 札幌で毎年開催される「ソーラン、よさこい踊り」も同様で、開催され始めてからまだ10年そこそこの行事です。たった数人の北大生が企画・提案して始めたことですが、今や夏の一大イベントとして本県はもとより全国各地に定着し、ド派手な衣装をまとった老若男女が狂喜乱舞してます。当初は「前例がない」ということで、関係各所の協力が得られず、開催まで大苦戦を強いられたとか。NHKの「プロジェクトX」に登場する人々も、同様に皆んな前例にないことに、真っ向から取り組んだ人たちばかりではありませか。今という不透明な時代にあっては、こうすれば必ず成功するといった方法はないと考えられます。そうであるならば、先例にとらわれず、たとえ大きなリスクを背負ったとしても、我が道を切り開く気概が必要とされているのではないでしょうか?

明確な個性ある地方の時代

全国に展開するコンビニやファミレスは、どこへ行っても共通の構えや認知した味に安心感があり、リピーターも多いと聞きます。しかし、私からすれば、そうした安心感は、裏を返せば全国どこにいっても変わりばえのしないという点で、物足りなさを感じてしまいます。
 これからは「地方の時代」と言われ久しいですが、現在、地方間の格差を無くすために推進する「平成の大合併」や権限の移譲、補助金の削減等といった「三位一体の改革」について国会や地方で盛んに論議されています。しかし、これは「全国をコンビニ化」する政策に等しいと私には思えてなりません。
 これからの地方の時代とは、こうした「全国のコンビニ化」とは対称をなす良い意味での「格差」や「差別」がキーポイントになります。地方の過疎地が何ら政策を持たずに、国の補助金頼りのぶら下がり合併では、名称だけが「市」に昇格しても「金太郎飴」のような街が増えるだけで、なんら意味はないのではないかと思います。
 今後、IT化がさらに進んで情報に関する地方間の格差が小さくなれば、人々は今以上に住む場所に執着心を抱かず、自分の生活趣向や目的に含わせ移動するようになるでしょう。情報が一極集中する大都会に限らず、明確な特色を持った魅力的な県や市町村に人々は集まり、その地域が発展するようになるでしょう。私の住む街もそうした特色と個性に溢れた街のひとつになって欲しいと思っています。(2004.11.28)