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木を見て、森を見ず!

 飛び石ながら天候にも恵まれた大型連休が終わった。その連休を前にした尼崎JR脱線事故は、車を運転する者にも多くの教訓となり、期間中の交通事故は例年より少なかったかのように思えた。だが、脱線事故の悲惨さは、誰もがライブ中継されたテレビ映像を見て胸を痛めたことであろう。中にはその映像を目にしたことで、再び悪夢が蘇り、PTSD([posttraumatic stress disorders]心的外傷後ストレス障害)Iに悩まされる人もいたと思うと、交通事故の恐ろしさは、自ら遭遇した経験から他人ごととして片づけられない。犠牲となった107人(内一人は運転手)はもちろん、500人を超す負傷者とその家族や親戚、知人、友人など、数えたら何千人という人たちがあの日を境に、“悪夢”と立ち向かっていかねばならない。もう二度と電車には乗れない人もいれば、電車の音、ブレーキの音、踏切の音を耳にするたびにPTSDに悩まされる。それは想像を絶する苦悩との戦いの始まりでもある。
 それに対し、事故後に溢れ出るJR西日本社員の行動は、まさに「漫画の世界」と呆れさせた。無論、一部の社員の行動とは言え、自分の「会社」という認識より、「職場」という意識が優先しているに過ぎない。直属上司の指示に従うことは、善しにつけ悪しきにつけ“保身”をいちばんとする社員はJRだけとは限らない。「社員の取るべき行動はどうあるべきなのか」と言った責任の希薄さが問題となったのだ。ただ、JRの社内風土は、経営陣、管理職まで含め、 “木を見て森を見ず”の例え通りである。

 「総理大臣の椅子を蹴った男」として名を馳せた会津の故伊東正義代議士は「表紙を替えても中身が変わらなければ総理大臣になる意味がない」と総理大臣の椅子を辞した。その時の言葉は今でも県民の誇りである。国鉄はJRという名の表紙になっても、中身は何ひとつ国鉄と変わらなかった。国鉄を民営化する理由に、親方日の丸経営からの脱却があった。当事者としての能力欠如、責任性の不透明さ、異常な労使交渉、生産性の意識低下、コスト意識の無さなどが挙げられた。安全に対する競争意識より、JRが抱える内部風土に問題があることを認めた社長の発言こそが、この事故のすべてを物語っている。国会では小泉首相が強引とも言える「郵政民営化」を押し進めているが、外的改革はもちろんだが、この事故をひとつの教訓として、「郵政」に充満する内部風土の改革にもメスを入れることを忘れてはいけない。さらにもうひとつ、この悲惨な事故を面白がるかのような“置き石”や“置き自転車”をする犯罪者に対し、重刑を科す法律の制定も急ぐべきである。(05.5.9)


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